刹那主義の意味そして心を軽くする理由とは

どうもメンタルヘルス専門家のOGURIスズキです。

今回は人生を含めて大切なことを語ろうと思います。聞いてくださいよ。ようやく自分の中の大きな霧が晴れたみたいなんです。

おそらく。これを読んでいるあなたもその霧を持っていると思うんです。私は今まで頭にきりがかかったようで、それは人生の大きな疑問の一つになっていました。

「で、その霧の正体はいったいなになの?いってごらんよ」と思うかもしれません。
で、はい言います。その霧の正体は究極に短くすると「どうしてあんないい人が事故にあうのか」ということでした。

天の神様は人間を見ているというけれど

今まで生きていて私は、神様が人間の行いを見ていると思っていました。

それはもっと具体的に言うと、人の行いの良し悪しは神様が見ていて、良いことをしていれば、いつか報われるという考えです。

でもその期待を裏切られることは本当に多いように思っていました。

  • どうして、人が死んでしまうのか。不慮の事故に巻き込まれてしまうのか?
  • まだ生まれて間もない子どもが飢えで死んでしまうのか

本当に良いことばかりしている人が、不慮の事故に巻き込まれてしまって、悪いことばかりしていても100歳まで生きる人もいます。

「いったいどういうことなんや?こんなんやったら本間に生きている意味があるんかいな?なんで何もしていない人がなくなったり、病気になったりするんや?それやったら、最初から良いこととかせえへんほうがええやん。頑張っている人が報われへんのやったら最初からなんもせえへんほうがええやん」

 

ずっと心の中にもやもやしていたものを抱えていました。
たぶん今見ているあなたも同じことを考えていますよね?

人生を線でとらえるのでなく点でとらえることで、その問題は大きく解決されたように思う

で、どうしてそんなもやもやした命題から疑問がはれてしまったのか?

どうして、黒い雲が上がり、今天気が快晴に向かおうとしたのか。

それは人生のとらえ方だったということに気付いたからです。

線でとらえると原因と結果の関係になる

人生を線でとらえると、原因と結果の関係になるわけです。

ようは過去→現在→未来と、一つの線として存在するわけです。
それらは線として人つなぎとつながっています。

そうなると、私はあれをしたからこうなったという因果関係が大きく浮き彫りになるわけです。

確かに勉強をしたから、良い点をとった。

あの人にああいったから、喧嘩になってしまったと一応のつながりをもつことにはなります。

じゃあ、先ほどのケースはどうでしょうか?

あの人はとってもいい人だったから、交通事故に巻き込まれてしまった。

あの子は元気に生まれてきたから、飢えで死んでしまった。

そうです。そんなわけありませんよね。原因と結果の関係ではこのような事例をとても説明することはできないのです。

もし、この原因と結果の可能性が成り立つのであれば人生とてもじゃないけどやっていられないです。

点ととらえるとどうなるか

人生を線ではなく点としてとらえるとどうなるのでしょうか?

一つの線でなく線のように見える点であると解釈するのです。
そう考えると、私たちが息しているその瞬間の一つ一つが点であると解釈できます。

一見線のように見えますが、そこは点の集合体であり、つながりは一切ないのです。

「いみがわからない」と考える人はいるかもしれません。
しかし、私たちは点の一つ一つ。その瞬間を生きていることになります。

その一つ一つ刹那の瞬間を生きていることになるのです。

原因結果として考えるのでなく点の一つ一つを意味づけるように生きていく

点と点で考えた場合、もはや因果関係はありません。
私たちはつながりの中で生きるというわけではなくなります。

その時その時を一生懸命に生きるしかなくなります。

その一点一点を生きていて、その瞬間に不幸が起こってしまったとしてもそれは点の中の出来事で、原因と結果の関係にはなりません。

今この瞬間を一生懸命生きていくことが私達の人生で大事なことなのではないかと考えているのです。

まとめ

人生を線でなく点でとらえる。

点であるその瞬間瞬間に意味を持たせるように生き抜いていくようにする。

 

 

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kenji

ユニクロのウルトラライトダウンが極めて大好きな31歳。 赤色が好きですが、性格は極めて内向的です(笑 ブログの世界ではわりと自分の考えが表現できるので、みんなの役立つようなコンテンツ作成していきますのでよろしくお願いします!!